無量大数 (山田征さんのチャネリング)

山田征さんのチャネル(1988年から数年)を抜粋編集して紹介

信仰と宗教

人と動物の性的行為の相違

★ ~ さまざまなる宗教画や、仏像の中には、そのこと(性行為)が主体となって描かれているものが多くあり、またシンボルともなっておりましょう。男神と女神がいかにも逞しく、おおらかに互いを抱き、睦み合う姿が白日のもと、人々の前に置かれている ~ にもかかわらず、私達にまつわります宗教、あるいは教えの中にありましては、それら男女の交わりのことは、かたく秘められたものとなってしまっているのです。
 ⑦-113 

神にすがる

★ ~ 彼女は、足の悪い自分のお子を通してはじめて、眼には見えない何かに対し手を合わせ、心を傾けることをなしてまいりました。もし、まだ彼女の中で、そのことが気になるようでありますならば、それを無理に引き離すことも、引き払うこともないと思います。彼女にとりましては、またとない心の救いであり、よりどころであったのでしょうから・・・・。
 ⑦-79

神の本分

★ ~ 私達はあなた方人々とは、いつでも不離一体の者であることを知って下さい。何も特別に瞑想をしたり、姿勢を正したりしなければならないことではありません。神なるものの本分はすべて、あなた方、人々の心のうちにあります。そして私達は、その人その人の縁にそって、誰一人あますことなく、その生きる姿を見守っている者なのです。そのような者の付き添わぬ者は、この地上に誰一人おりません。
 ⑥-184

人と神の隔たり

★ ~ 私達はいま、その絶対の神は、あなた方自身でありますことを、このように伝えようとしているのです。今だに人は、そうです、多くの人々は、神と私達人間との間を大きく引き離したままに考えようとしているのです。
 ⑥ー179 

夢の中の奇蹟

★ さて私達は、今朝ほど貴女に一つのビジョンをお見せしました。もちろん貴女は夢として見ていました。あの場に居たあの女性に貴女がなしました行為は、いわば過去に於いて私イエスが、多くの人々のうちに、さまざまな奇蹟として行った事と同じことなのです。 
 ④ー80

悪も神の一部

★ ~ こうした世界に通じます霊能者達は、霊的能力が強い者ほど、自分が一番偉い、自分こそが予言された救い主であるといった、まるで子供のような感情に陥ってしまいがちなのです。自分の受けるメッセージ、自分の視る霊なる世界、それを最高のもの、唯一なるものと思いはじめ、この世的なリーダーになろうとしてしまっているのです。
 ④ー38

善悪の仕組み

★ ~ 人が今まで悪と見、善と見てきた人々の心や姿、~すべては、神なるものの、いまひとつの姿であったということを、人々の前に明らかにすることに致しましょう。~すべての善悪の仕組みは、いま大きく変換されようとしています。
 ③ー102 

偶像神の否定

★ ~ ですからイクナートンは、王である権力を行使し、それ以前の様々な偶像神を強く否定し、打ち壊してしまいました。しかし、それまでの歴代の王の持っていました力の強さ、また神々に対します人々の信奉は、あまりに力を持ち、人々の生活そのものになっていたのです。ですから、そのことを覆すことは、王という権力者でありましても、大きな抵抗を受けなければならなかったのです。
 ②ー286

神の望みたること

★ ~ 神は、さまざまな人の心に悪とは何か、善とは何であるかを示されようとされました。その為にはどうしても悪魔ベルゼブルでありますとか、東洋的には、地獄の赤鬼、青鬼、あるいは閻魔大王のような役者を登場させる必要がありました。実際は、そのような場所はないのです。

  ②ー72

悪しき事も認める

★ ~ たとえ人々の目に悪しき事と思えしことも、見えし事柄の中にありても、その裏にあるは、かならず神の成就されし御心のみことである。

また、悪しきことをも認めたまえ。知りたまえ。

それもまた神の心のあらわれであると知りたまえ。
 ②ー29

2-22 神の手の中

★ ~ また人々の暮らしの中にありては六日を働き、七日目を憩いの日となし、神を愛でたてまつる日と定める事とはなった。

~ いつの頃よりかは知らねども、いまを生きるさまざまなる人々の暮らしの習いとはなったのである。

~ キリスト教にあらず、ユダヤ教にあらずとは申しても、その中にて生きるは、このように定められし神の思惑あることに気づこうものを。

 ②ー22 

モーゼと神の民

★モーゼの時代の事に関して、少しお話ししてみたいと思います。

~聖書にあまり関心の無い人々にも、モーゼの名は良く知られています。

~おそらくは、映画《十戒》によるものと私達はみています。
~ なぜ神は、あの時あのようにして、ひとつの民族を選び取り、特別に育て上げようとなさったのでしょうか。

他にも民人は沢山住んでいたのにです。
 
①ー122中段

神を伝える者

★イエス様に致しましても、私(マリア)に致しましても、至高なる神の御心を皆様に伝える者として存在しました。

ですから、私達は、神を表現するものでありましても、神そのものではありません。
~私やイエス様を、神そのものであるかのように仰ぎ見た人々もおりますが、形はどうであれ、神への信仰の現れであることに変わりはありません。
 ①の94上段

貴方の中に神がいる!?

改めて申しますまでもなく、それは、『 貴方自身のうちに神が存在する 』と伝えていますが、どれほどの者が、それを正しく受け止めることが出来たでしょうか。

やはりまだ多くの人々は、私(イエス)達のように神との間に立つ者を必要としてきたのです。
もはや、私達を通じて神を知る、そのような時ではなく、各々が直接神を知る時に至りました。
 ①の94後半

宇宙を構成する神

★どのような人も、最低限のところで、神という言葉を知らない者はおりません。

イデオロギーの関係で、神とか宗教を受け入れない人でさえも、なんとなく、お寺参り、お宮参りをしてしまっているはずです。

~この宇宙を構成するもの、司るものは、神以外の何ものでもあり得ないからですし、自分もまたその大いなる一部分であることを、人は忘れているかに見えているだけなのです。
 ①ー67

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