★★山田征さんのチャネル物語を編集・抜粋掲載中です!(現在はチャネリングを休止され別活動をされています) ★征さんのチャネルのキッカケ (*印の小文字は、ブログ管理人の勝手な注釈・感想)
⑦-133
(★征さんのト書き) レオーネについて
レオーネは、フランシスコがまだ他の弟子達と動きを始める前から、いつの間にか彼の前に姿を現し、終生、まるで物に寄り添う影のように、フランシスコの傍らに在り続けた存在です。
フランシスコ亡き後は、他の少ない弟子達と共に、反フランシスコ派であったエリア達によって迫害され、死亡したと言われています。また、フランシスコについての記録のほとんどは、レオーネの手によって残されたと言われています。
また、この日の記述にあります、ラ・ペルナ山のことですが、この山は、アッシジから車で約二時間(ハイウェイ)ほど離れたところにあります。晩年のフランシスコが瞑想の為にこもり続けた山です。(四十日四十夜とも言われますが)
フランシスコがその時過ごしたといわれる岩穴に行ってみましたが、なんと言うか、身の毛がよだつような深く、高く垂直に切り立った岸壁の上にありました。
現在そこには、寺院が建っていていますので、その凄さのほどは、ほとんど解らなくなってしまっています。
その切り立った岩の上で、フランシスコは、影のように付き添うレオーネさえも遠ざけて、数十日もの間、連日連夜祈り続け、ある日とうとう、十字架上のキリストの受けた傷(両手両足首、そして脇腹)と全く同じ、いわゆる聖痕なるものを、イエスを六枚の羽で抱いて現れたケルビムによって与えられたと言われます。
それから死を迎えるまでの約二年間、フランシスコのその傷からは、絶えず血が流れ続け、痛みも伴っていた、と言うことなのですが、その彼の体は、いわば強烈極まりない電極と言いますか、磁場そのものとなってしまい、そのことにより、また多くの奇蹟も成し得た(起こった)という事です。
私達は、六年前のアッシジへの旅の時、ラ・ペルナ山に行った後、
*フランシスコ達が、初期の頃によく瞑想にこもったと言われる、カルチェリー山にも行ってみました。
そこはアッシジの街のすぐ上で、とても近い場所ではありましたが、やはりなかなか険しい山の中でした。そこの瞑想の場所も、建物ですっかり覆われていました。
さて、私達は、澤田先生に教えてもらった、レオーネの瞑想の場だったと言われる、吹き抜けの岩穴を見に行きましたが、その時は他の旅仲間は先に行ってしまって、数人の若い人達だけが残っていました。
ところがその時、私の体に、とても強力な回転する力が働いてきました。けっこう石だらけの山道で、くるりくるりと体が回ってしまいます。
それを見て、そばに居た二人が 「 どうしたんですか?」 と、何だか面白そう、と言った感じで近づいてきました。するとその二人も回転する磁場の中に入り込んでしまい、咄嗟に支えた私と共に、三人して、くるりくるりと何回も回り続けました。
*そうしながら、そこに居た私達はみんな、急な折れ曲がった坂道の下にある、レオーネの瞑想場所に、自然に誘(いざな)われて行きました。
後に私のノートでは、まるで影のような存在だったレオーネこそは、彼フランシスコの真の守護者であり、隠れた師でもあり、またケルビムによって聖痕を受けるに当たり、その場の磁場(エネルギー)を共に高める役割をした者である、と語られているのです。
私は自分の体に働く力の体験から、そのことの意味がとても良く解る気がしています。
人は、自分一人だけでなく、他への力の補助も出来るし、分散も出来るらしいのです。
*ごく身近な例で説明しますと、強烈な磁石にくっついていた釘を、磁石から離したとき、その釘はしばらくの間、磁石としての働きをすると言う現象と同じことです。
私から離れた二人に残った回転力は、丁度そのようなものだったのだと思います。