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私イエスは、かつて人として生まれました時には、母マリアだけではなく、それなりの血縁関係というものはありました。しかしそれは、私の魂の上での繋がりとばかりは言えませんでしたので、人としての関係だけでは、なかなかうまくいかない所が多くあったと言わざるを得ません。
特に、その時私の担っていました事柄を、まわりに居ました多くの人達は、ほとんど理解することが出来なかったからなのです。その事は今の貴女といますか、いつの時代の者にも言えることでありましょう。
さて、あなた方も知りますように、私イエスは、その当時ごく普通の人々の中に生を受けた者でありました。
人々を教え導く者、すくなくとも、神に繋がる事柄を人々に教え、導いていく立場の者が、そのような中から現れい出ると言います事を、当時の人々は信じることも、認めることも出来ませんでした。現実的には、神に仕える者、いわゆる聖職者といわれます人々の出る階層といいますものは、まことに厳しく隔てられていたと言えるのです。私は、いわゆる庶民と言われます階層の中から生まれは致しましたが、それは偶然の事柄ではありませんでした。
神の御心と言いますものは、そのようにして、人の世界の階層によって分け隔てられるものではないことを、まずは知っていただきますことが、第一義になされたと言えましょう。そして、母マリアもその本質は何であれ、ごく庶民的な家庭に、まことに美しく、心やさしい一人の乙女として存在いたしました。
その時の地上的な目で見ますならば、他の人々より特別に学問が秀でていたわけでもなく、人々より特に賢い動きをしていたと言うわけではなかったのです。だた、その優しさと素直さの前では、特別な者であったと言えましょう。彼女は何気なく人々の中に在りました。
しかし、その当時の人々の心は、今とはだいぶん違っていました。中にはその形だけ、スタイルだけがそうであるにすぎない者も多くありましたが、その心や生活のリズムと言いますものは、ことごとく神の掟にのっとった形で進められていたのです。もちろんそれは、モーゼによります律法であったことは言うまでもありません。
つまりは、この神の掟、律法を守ると言いますことが、ヘブライの民、神の民でありますことの厳粛なる証のようなものでありました。男も女も、老いも若きも、ことごとくこの律法の枠の中で、窮屈に暮らしていたと言わざるをえません。
また、それらの掟を、更に厳しく守り通そうとする小さな神の民のグループ、組織と言いますものが他に有りました。そのグループは、いわゆる神からダイレクトに情報を得ることが出来ました。その組織の名は、貴女もよく知りますように《エッセネ派》と言われた人々の事なのです。世間一般的な世界からは遥かに離れた、非常に精神的な生活を保っていた人々であり、霊的集団と言うことの出来る人々の事です。
その当時、この私イエスの誕生に先立ち、これらの人々は神なる意識体により。私の下降に関します様々な情報を得ていたことは言うまでもありません。それらの情報により、準備を次々と整えてまいりました。特に私の母マリアにつながります人達の中では、これから起きるべき事柄は全て現れ、知られておりました。
この組織は、いわば秘密結社のようなものであったと言っても良いのです。
その当時、これら一連の出来事の中で、いわゆる霊的な指導者と言われます者が何人か在ったことを、ここに言っておく必要がありましょう。このことは、旧約の時代から新約の時代への移行の時であり、世に言う『あたらしい時代』の始まりの時でありましたから、私達に所属いたしますグループとしての魂のほとんどは、この出来事のために地上に下降し、当時の世に在った言うべきでありましょう。
これらのグループは、それより以前さらに数千年の昔、そうです、かの大いなるピラミッド建造した時にも共にありましたし、現代のこの時代にもまた、さらに多くの者がこの世にあると言えるのです。
その頃も、いろんな人と人との関係は実に多くありました。その関係は今に持ち越していると言えますが、その役割、配分といいますものは、いろいろに変化しているのです。そうです。いま私が述べています事は、人の魂の関係の濃淡と言いますものは、決してこの世的な血縁関係の上にばかり現れるのではないことを言おうとしたのです。(*この世でどんなに濃い血縁であっても、肉体を離れた魂の世界では、意識すらできないほどの薄い関係であったりする??)