山田征さんのチャネル物語①(1988)から編集・抜粋して掲載しています。(現在はチャネリングを休止され別活動をされています)

◎ その昔、この美しい星地球に降り立った多くの魂たちは、それぞれの特性にそって、それぞれの生活、文化をうち建てていきました。それは、いま人々の前に繰り広げられています文明社会など、とうてい及びもつかぬほど、なお一層高度な文明社会であったと言っても差し支えないものでありました。

◎それは、物質的な面でも確かにそうでありましたが、精神文化の上でなお一層高度であったと言うべきものでありましょう。当時の人々は、現代の人々からは到底夢想だに出来ぬほどに、高度な力を持つ者が多く存在していたのです。いまで言えば、いわば超能力といった力の事です。

◎  有史以前に栄えた途方もない文化はいくつかありましたが、それらが、ある理由に基づいて、跡形もなく消え去った文明は、また以前のような原始的な生活を余儀なくされ、そのような人々によって、少しずつ人としての文化が甦りつつありました。

◎  《神の民》と呼ばれる人々の群れを、この地上に置く事にしようと計画されたのです。そして、私イエス達はその協力者として定められました。そして、アダムとイヴの二人は、私達の民の始祖と定められたと知って下さい。

◎  あのアダムとイヴのお話が誕生いたしました時、この地上にはすでに、他の多くの民族の生存があったと言う事を知る必要があります。*アブラハムを更に逆のぼること二千年の彼方に、このドラマの始祖であるべき、アダムとイヴが何故置かれたのかを、もう一度、あなた方は考えてみなければいけません。ただ額面通りに、あの聖書を読んでしまってはいけないのです。


◎ 人の歴史とは何であるのか。たとえそれが、イエス・キリストにまつわるものであれ、なんであれ、神との合一へと向かうための目的を持った一大ドラマであり、大いなる旅路である言えるのです。


◎  人々とは何であったか 人々とはまさしく神の分身 神の愛の計らいによる 神の子どもらであった 昔 人々に悪は無かった 人々は清らかな愛そのものであった 清らかな光そのものであった 人々は平和な愛そのものであった 私(ルシエル)もまた その大いなる神の愛そのものであった

◎  人々は 神の計らいにより まるで神のごとくに 自由にものごとを考える思考というものを与えられたのである 人々は まるで神のごとくに 豊かに 明るく人々を愛し ありとあらゆるものを 美しく眺めて暮らしていた


◎ なぜ人々は そのことから離れることになってしまったのか 神の世界は全きものではあったが やはり プラスとマイナス 陰と陽なる二つの性格を持たざるを得ぬ 一つの要素が生じたのである ~その因となったものについては いまは明かさぬ