無量大数 (山田征さんのチャネリング)

山田征さんのチャネル(1988年から数年)を抜粋編集して紹介

神の計画


◎ 私達は、神の計画に基づき、この気の遠くなる時の流れを生きてまいりました。まだまだ果てることのない旅路でありますが、いまはまさしく、ひとつのシナリオに基づく幕が下りようと致しております。
 
山田征さんのチャネル物語①(1988)から編集・抜粋して掲載しています。(現在はチャネリングを休止され別活動をされています) 

◎  人々は、この地球という大きな舞台をお借りして、長い長いお芝居をしてきたのですね。舞台裏はすべて天の国です。シナリオはすべて、神自身の手になるものです。私達(天界の人達)は演出者です。

◎  人は、無であるものを、意識することも想像することも出来ません。なんであれ、あなた方が想像するもの、思考し得るものは、それがどんなに奇想天外、荒唐無稽であっても、それは必ずどこかに既に存在するものであることを知って下さい。すべてそれらは、神の計らいの中に於いて、既に存在する事象物であることを、あなた方はよく知る必要があります。

 ◎  私達本来の姿には、各々様々なバイブレーションの違いがあります。~ その差は一口に言い表すことは出来ません。人々の持つ個々のバイブレーションは、例外なく、その中のどこかに波調が合っています。その合一した波調に位置する者同士が、お互いを助け合うことになるのです。そう致しますと、霊的な形(存在)のままでは、あまり成長の度合いは望めなくなりますので、そこに《肉体をとる》と言う現象が生じます。これこそ、神の最大、かつ最高の神の計らいでなくなんでありましょうか。


◎  神は神の心を心として生きる民のひな型をつくろう・・・と。そして、一つのルール、秩序を確立しようではないか。~ 《神の民》と呼ばれる人々の群れを、この地上に置く事にしようと計画されたのです。そして、私イエス達はその協力者として定められました。そしてアダムとイヴの二人は、私達の民の始祖と定められたと知って下さい。

◎  いま私達が急いでいますのは、このような情報が出来るだけ広く、大勢の人々の中に伝えられ、その人にとっての考える判断材料ともなり、生きる上での指針ともなりますようにということなのですが、そればかりではありません。人々がこの事を知ろうと知るまいと、この宇宙の仕組み、神の摂理にのっとって、今ある出来事が進行中であります。

◎  これからあなた方が迎えます時代、いえ、既にそのような時代に入ってきていますが、これから先の時代に現れます救い主とは、人としての肉体を持った者ではありません。

黙示録の世界

◎ 黙示録やいろいろな予言の書については、もう少し皆で考える必要があります。その示されている言葉に振り回されることは、大変危険な事です。早くその事に気付いてほしいと、強く願わずにはいられません。

 山田征さんのチャネル物語①(1988)から編集・抜粋して掲載しています。(現在はチャネリングを休止され別活動をされています) 

◎  これから先、どのような出来事がありましょうとも、それは全て人々の想念によって引き起こされ、起きる事であること、また、それらのことに直に巻き込まれていく人々は、それなりの理由があっての事と知って下さると良いのです。

◎ 今の段階では、いったい誰がどのような事になるか、何も解らないのです。しかし、多くの人々が、一般的な知識として、このような概念を受け入れるかどうかは、大きな問題です。受け入れたことにより、おそらくその日から、自分と自分のまわりに起きる様々な出来事を、非常に冷静に見る事が出来ていくはずです。

 
◎  ただいたずらに、怒ったり、悲しんだりするのではなく、その人その人の善き判断がなされていくことで、社会全体の空気も和らいでいくことでしょう。そのことは、また次なる善きことを招き寄せます。これまでのいきさつ上、当然起きるはずであった様々な事件や、事故、災害といった事柄も、人々の感情が鎮まってまいりますとそれらの出来事に伴う力も弱まってまいります。このようにして、大きな災害を食い止めていくことも出来るのです。このことが、先に申しました、『 予言された事柄の回避 』 ともなって現れます。

◎  その日々の生活は、驚くべき自然界の営みとの関係の中に在るということです。しかし、あなた方の人間生活はと言いますと、それらの連鎖関係を無視した形で推し進められてまいりました。その結果がどのようなものであるかは、いま世界各地、あらゆる所でさまざまな天災、人災といった形になって現れてきております。

◎  人々は、たとえば火山噴火ようなものは、単なる自然現象だと思っているでしょうが、そうとばかりは言えないのです。そのような事でさえも、この地表に生きる私たち人間の生活の在り方、物の考え方と、深く結びついている事を知る必要がありましょう。まして日常的に起きる、小さな自然現象などは、私たち人間の様々な想念と、自然界とのアンバランスな関係の中で発生していると考えても良い位です。

◎  今までの多くの歴史の中や、宗教や、予言的な事の中で、これから先の地球の時間帯を、終末の時代、黙示禄の時代などと呼んできました。その時になりますと、新しいメシア(救い主)が現れます、といった事はさまざまに言われてきたことなのです。一般に人々は、救い主が現れると言います事を、世の乱れ、つまり人の世が、罪悪に汚れ、人心の荒廃が進んだことによって、それを何とか救いとろう、救い上げようとの神の意図、情けによって救い主が与えられると解釈しているむきが多いと思われます。

◎  それは全く関係がないとは申しませんが、図式が少しばかり違っています。人々の心に、真から神を求め、救い主を求める心が育った時に、そのことはなされる、という事です。そのような心が人々の心に育たなければ、神の化身は、人々の中に降下し得ないという事なのです。人心が乱れ、心の波動が荒みきった所には、神的な波動を持った肉体は、同調し得ないということを、あなた方は知る必要があるのです。

◎  人々の心から、影の部分、闇の部分が消え去る事、少なくともそれを、誰か他の者、または現象のせいにせず、全ては自分にとって、あるいは社会にとって、本当に大事で必要な事だから存在するのだ、という事を認めることでしかないのです

◎  まだまだ現実には多くの波乱が生じます。人々の心は、ますますかたくなになるかに見える事でしょう。思わぬ災害、天変地異も巻き起こるに違いありません(*いろいろ起こりました)まことに、神も仏もないのかと、思わず口走りたくなることも、少なからず生じるに違いないのです。しかし、そのような表面的な事に捉われてはいけません。すべて、その裏に潜む多くの事柄こそ見抜きますように。

霊魂~人の歴史

◎ 私達の”魂”、いわゆる霊魂が、なぜこの宇宙に存在するかにつきましては、貴女だけでなく、実に多くの人々が知りたがっている事柄の一つでしょう。*まずはじめに、神は実に多くの霊魂、霊なる存在をお創りになりました。それは神御自身の分霊、分身としての魂でした ~同時に創られました存在達は、ほとんど同じような特質を持っていたことは、当然の事でした。

 山田征さんのチャネル物語①(1988)から編集・抜粋して掲載しています。(現在はチャネリングを休止され別活動をされています) 

◎  いまだに肉体を持たず、殆んど光そのものの状態のままに、この真空なる宇宙空間に浮遊していたと考えて下さい。神は、この一つ一つの魂の中に、ご自分の中にある様々な要素、つまり、特質を吹き込まれました。ここに初めて、霊魂は個性と言いますものを持つことになります。

◎ 神によって創られました神そのものの特質(霊魂)は、その時は、まだ誠に清浄そのものであり、シンプル極まりないものであったのです。神は、この私達と共に、いとも健やかに、明るく希望に満ち充ちて、宇宙界のあらゆる事柄の創造をお始めになられました。


◎  霊魂の一つ一つには、何ひとつ漏れることなく、神そのものの要素と自由意志とが備えられていました。しかし、あなた方の知る多くの霊魂はそれぞれに違いがあり、それが個性ともなっているのですが、その事がまた、神といいます存在の持つ、ひとつひとつの要素であり、個性というものです。


◎ この多くの魂のほとんどは、その後いったん、ある途方もない秘儀により、非常に粗いエネルギー波動を持つ、いわば物、物質と言っても良い所まで堕ちてまいります。(*宇宙初期のインフレーション現象の事だろうか??)そのことが、いわば堕天使の物語で言われるサタンの世界、ネガティヴな波動の世界なのです。それは一人の偉大なる天使、ルシエルの名によって表現され、語られてはいるのですが、もちろんそれは、これらのことを 集約した姿であることは言うまでもありません


 さてある時、人としての肉体は完成致しました。いままで、この真空の大空に浮遊し待機していました数々の霊魂は、この時進んでその肉体へと下降してまいりました。

◎  肉体の完成と言いましても、神の自由意志を持つ霊魂にとりましては、まことに不備な部分が多くありましたが、それもまた少しづつ、進化の過程の中で変わっていったのです。ここに人は初めて、人間としての生活を始めるに至りました。 ~肉体に宿りました霊魂の全ては、それ以前に既に様々な特性、個性を持っていたということです。そうでなければ、まるで同じ工場で同時に生産されたロボットと同じことになるからです。

◎  全ての霊魂と言いますものは、同じ神から分かたれたものでありますから、基本的には同じであるということは言えるのです。

◎  このようにして、多く生み出されました人々の中には、やはり意図的に神の意を汲み、人々の向かうべき方向を指し示すいわゆる霊的な指導者といいますものが、絶えず置かれてまいりました。その指導者の指し示す方向とは、全き神への回帰の旅路でありました。偉大なる指導者、モーゼに率いられて、約束の地、カナンへ向ったヘブライの民人の姿もまた、その一つでありました。

バイブルの真実

◎ なまじ聖書など知らぬ者には、私達のこの肉体を形づくり、生命を維持しているものは、『非常に高度なエネルギーそのものであります。』と言った方が、ずっと通じやすいのです。

◎ バイブルには、もっと大きなものが隠されています。表面的にだけとらえますと、いろんな矛盾が生じますが、その奥には宇宙の大きな、気の遠くなるようなドラマが秘められているのです。

 山田征さんのチャネル物語①(1988)から編集・抜粋して掲載しています。(現在はチャネリングを休止され別活動をされています) 

◎ 社会の人々のほとんどが、神の民として選ばれたイスラエル民族のことを、いわゆる ”選民” という言葉で言い表してまいりました。 ~ 本当の ” 神の民 ” の意味は、、人々の前に指し示されました ” 犠牲の民 ”であったのです。それは、まことに私イエス・キリストが、神の生贄(いけにえ)として十字架にかけられ、人々の前に示されたのと同じ形でした。

◎ あの書物は、一般に思われていますような、いわゆる 《 道徳の書 》 ではありません。神によって、神の道を生きることを命ぜられた、一つの民族の生きた証の書物であるという事なのです。~ その中には、様々に生きる人々の、ありとあらゆるひな型が示されているのです。肉の身にあって生きる者の何と弱きものであるかを、あの書物は、あますことなく記録いたしております。


◎  私イエスの教えはあくまでも、最も貧しい人々のものであり、最も力を持たぬ人々にもまた、神は同じように愛の心を差し向けていられるのですよ、ということを伝え、希望を持っていただくことでした。もちろんそのような人々の為だけとは申しませんが、~ 『神の愛、神の心は、全ての人々に同じように注がれているのですよ』と言う事を伝えてあげたかったのは、まずそのような人でした。

◎  時代が変わってまいりますと、小さな集落ごとにありました集会の場も、いつの間にか、立派な、それこそ神への礼拝専用の建物が造られていくようになりました。旧き宗教、信仰形態を破ったはずのものが、すぐまた元の形となってしまったと言えなくもないのです。

◎  人々は、いつでも十字架の裸の私に祈りを捧げる者となったのです。直接神なる存在へ思いをつなぐのではなく、イエス・キリストとしての私を通して、神へ祈りを捧げることになりました。 ~『偶像は拝まない』としながらも、私にかたちどった、さまざまなる偶像に手を合わせる者となりました。人々は、いえ、多くの聖職者は、そのことの矛盾に、いささかも気付かずにこの時まで来てしまったのです。

◎  私イエスは、神の御心と同じように、人々の心の在る所にはどこにでも等しく在るものである事を知っていただきたいのです。どのように立派な教会が建とうとも、宗派が出来ましょうとも、私達は決してそのような物の中にとどまる者ではございません。

◎  あのアダムとイヴのお話が誕生いたしました時、この地上にはすでに、他の多くの民族の生存があったと言う事を知る必要があります。~アブラハムを更に逆のぼること二千年の彼方に、このドラマの始祖であるべき、アダムとイヴが何故置かれたのかを、もう一度、あなた方は考えてみなければいけません。ただ額面通りに、あの聖書を読んでしまってはいけないのです。これらの事柄は、決して恐れることなく、今こそ人々の前に明らかにしていくべき時に至っているのです。

◎  現代社会の機構の中では、聖書に記された事柄と、科学的に見る進化論とのあまりの差、ギャップにあい、 ~聖職者の中にありましては、神への信仰と、科学の世界での事実関係との間を、どう埋めたら良いのか、どう理解すべきかに苦しむ者が多く存在いたしております。

◎  今ここに来て、どのように大きく世界が変化し宇宙的な出来事の中に 私達が存在しているかを知るべき時でありますのに、彼ら聖職者はまだ、ひたすら聖書の中にだけその答えを見ようとしています。もちろん、聖書も本当によく読み込んで下されば、これらのことの片鱗は、そこかしこに散りばめられ語られているのですが、その大事な言葉の大部分は、この歴史の中で、無理解と無知の上で切り捨てられ抹殺されてしまっているのです。

◎  これら天地創造の物語は、いわゆる、あなた方の言う一元的な物の見方だけでは、解決いたしません。このことにより、いわば科学的進化論が正しいとか、聖書の記述は間違っていると言ってしまうことは出来ません。そのどちらも真実であると言いますことを今のあなた方に理解を求めるのは難しいのです。


 

神の本質

◎ 善き人になるために神を求めるのではなく、あるがままの自分をよく見つめ、あるがままの他の人々も、よく認め合うためにこそ、人は神を求めて止まないのです。

 山田征さんのチャネル物語①(1988)から編集・抜粋して掲載しています。(現在はチャネリングを休止され別活動をされています) 

◎  いつの時代にも必ず、仲介者なしに直接神の声を聞き、神を感じる事が出来た人々がおります。そうした人々の思想の中には、必ずと言っていいほどに『 自分を知りなさい 』というものがあります。『 全ては自分の中にある 』、全ての解答は、自分の中に秘められているのですよ、という事を伝えているのです。

◎ 日常的な、あまりに日常的な事柄だけに目を止めていないで、時には 『 神にまつわる事柄にも目を向けて欲しい 』と私達は心より願っているのですが、やはりそういう意味では、宗教といいますものの果たした役割は、とても大きいと言わざるを得ません。

◎ いまあなた方が、始めようとしています事柄は、大変大切な事になってまいります。何しろ、宗教や教会、寺院、そして宗教的な組織といいますものを離れた所で、神そのものを体現していこうというわけなのですから、そのことこそ、多くの人々の心から納得させ得るものとなりましょう。

◎  もはや、私達(不可視世界の人達)を通じて神を知る、そのような時ではなく、各々が直接神を知る時に至りました。私達はそのことのお手伝いをさせていただくのです。

◎  人は、どのように些細な事柄でも、その一瞬一瞬の心の判断で動き、生き続けているのです。その一瞬一瞬を司るものは何でしょうか?この広大な宇宙の中に、一瞬一瞬の時が存在いたします。時とは、まさにその一瞬しかないのですが、その一瞬一瞬が重なり、つながってまいりますと、人の心には、時間、時の流れとして自覚されていきます。その一瞬一瞬を司るものこそ、神そのものです。その一瞬一瞬の神の心に、全てを委ねていけば、それなりの判断が生じてまいります。そのことが、『神にすべてを委ねる』という事でありましょう。

◎ 神の司る一瞬一瞬の時の流れに任せ切る心が、全ての空間を、なんの障害もなく流れてまいります。そこには、多くの人々の想念も同時に存在いたしますので、うまく流れるもの、非常にゴツゴツと流れをせき止めてしまうものなどがあるのですが、その中にありましても、その時のあなたにとって一番良い、必要とされる判断がなされてまいります。現実的な目から見て、それは決して良い事ばかりではありませんが、神の時 とは、そのような目では計ることの出来ないものなのです。

◎ 自分に起きる事柄は、すべて、自分自身にとって必要な事柄であるという事を認めることです。いまは、自分の身に起きる全ての事柄は、全て自分自身の責任であるという事を知ることを伝えましたが、それはとりもなおさず、あなた自身の中にある、神に委ねた結果である、という事なのです。
 
◎  日常生活の中の、どんなに些細な事柄の中にも、それなりの神の摂理が隠され生きております。それをしっかりと感じとる人々が、確かにいらっしゃるのです。変化に富む中で、自分を見失う者もいますし、あまりに変化がなさすぎる中で、自分をつかみ損なってしまう人達もいます。

◎  人々はまず自分の直感と言いますものを良く活用してくださいますようにと申し上げます。生活の中の様々な出来事の中で、そのようなものを感じ取った時は、あまり理論的に考えすぎないことです。理屈で判断し直そうと致しますと、もうそれは直感としての働きを失ってしまいます。

◎  ヒラメキ、あるいな直感の働きを感じたものには、自分を委ねてみることをお進めしたいと思います。

そのことの積み重ねが、一つの訓練となり、私達(天界の人達)との回路をつなぐ道筋を作ってまいります。

◎  『物事の判断を決して他に委ねない』と言う事です。これを、自分の物にできるかどうかが、一つの鍵ともなりましょう。そこに、《他の師を求める必要のない自我の確立》が生まれます。自分一人で立つということです。

◎  決して悪い事はしないし、人の悪口も言わない、怒ることもないといったような事を指して言うのではないのです。そのようなことは、皆様もどうぞおやり下さいと申しましょう。(*積極的にやる必要は無いと思いますヨ)

そのような末梢的な事柄ではなく、全ての根本において、全き神に信を置くということです。そのような姿が保てるようになりますと、宗教的な組織や、政治的組織、組合的なもの等、組織的なものに決して束縛されることがありません。


◎ 現代と言いますこの時は、かつての時のように、一人の目立った人物、救い主と呼びましょうか、そのような者を必要と致しません。あまねく一人一人の胸の内に、偉大な救い主は宿ります。なぜなら、肉の身にありましては、必ず限界と言うものがあるからなのです。

◎  いまあなた方が、始めようとしています事柄は、大変大切な事になってまいります。何しろ、宗教や教会、寺院、そして宗教的な組織といいますものを離れた所で、神そのものを体現していこうというわけなのですから、そのことこそ、多くの人々の心から納得させ得るものとなりましょう。

◎ この世的な知識の取得と神の信実を伝えますことは、決してつながっているものではないと言う事なのです。何より大切なことは、学問的な事柄ではなく、何にも増して神への信を貫くという心根と生きる姿と言って良いのです。

◎  いま貴女は、猫の絵=ただひたむきに何かを見つめる、愛らしく美しい瞳に魅せられてしまっていました。

そうです、このように美しく素直な姿と心が、私たち人間のあいだから、本当に失われてしまったのです。いま、第一に私達が申し上げたいことは、このような心と姿で、神の方に向き直っていただきたい、と言う事です。

そういたしますと、全ての事柄は、本当に素直に人々の心に映るようになることでしょう。

◎  人々の心に、真から神を求め、救い主を求める心が育った時に、メシアが現れるという事です。そのような心が人々の心に育たなければ、神の化身は、人々の中に降下し得ないという事なのです。人心が乱れ、心の波動が荒みきった所には、神的な波動を持った肉体は、同調し得ないということを、あなた方は知る必要があるのです。

◎  また、今となりましては、人は他人によって救われるものではなく、その人その人の内的な何かによって救われていくと言いますか、気付かされていく、という事なのです。これから先のあなた方が、まず初めに知るべきことは、自分の救い主は自分であること、自分が自分を一番よく知り、自分を開いていけるものであることを、よく知る事でありましょう。

◎  人々が救われると言いますことは、結局は人々の心の中から、本来の愛ある心が溢れ出すようになることに他ならないのです。

自分自身 奇跡、時代の変わり目

◎ この世で感じる長い時間的な経過を、ある種の秘儀により、極度に短縮し、即座に表す(実現してしまう)ことも可能であると言う事です。それらのことは、私達の歴史の中には、ほとんど史実と言っても良い形で記録され、表現されております。この事もまた事実なのです。前にも申しましたように、私達の前には、全てが完了された一つの次元しかないと言う事です。

 山田征さんのチャネル物語①(1988)から編集・抜粋して掲載しています。

◎  目的を見失った若者の場合は、 ~ 自分が世の中の全ての出来事から切り離され、まるで糸の切れた凧のように、はてしない中空を、あてもなく漂っているかのように頼りなく、寂しく、不安な状態に置かれてしまうのです。彼等をどのようにして本来の生きる目的の中に連れ戻すことが出来るか、この都市空間の中に、ひっそりと埋没してしまっている彼等を、どのようにして見つけていくことが出来るかを、私達も共に考えていく必要があります。

◎  取り敢えずは、日々の暮らしの中で、まず自分自身の置かれた場所、立場の中で、自分の在りようを、しっかりと見つめていくと良いのです。もちろん自分以外の他の人達にも目を向けていくことは、大切な事ではありますが、まずは自分であると言う事です。良きにつけ、悪しきにつけ、その時その時の自分の姿が、他の人々をも映す鏡ともなりましょう。自分が非常に安定して、良い状態の時には、ひとの事、世の中のありとあらゆる事柄を、その心の状態で見ますので、非常に落ち着き、冷静に、しかも温かく見ていくことが出来ます。

◎  今回の時代の変わり目と言いますのは、彼、ルシエルの出番となります。

彼によって支えられて参りました、悪なるもの、闇なる部分は、いまこそ取り除かれていく時となりました。

その事により、彼は彼本来の美しい姿に戻ります。と言いますことは、あなた方全ての者が、その本来の姿に立ち返ると言うことになるのです。

◎  世の中の様々な事も、丁度この霧の中に隠された真実の姿のようなものなのです。本当の姿が見えなくなってしまっているのです。わかるのは、いま自分が生きている、その、足元のところだけなのです。でも、その足元をよく見つめ、気を付けて一歩一歩進んでいけば、決して道を外れ、崖から転げ落ちる事もありませんでしょう。どのような姿のものの中にも、真理といいますものは、潜んでいるものなのです。

 ◎  本当に些細な事、風のそよぎ、小鳥のさえずり、何気なく交わした人との会話、ふと見上げた星空のまたたき、そのような事の中から、ふるえるほどの心の感動を覚える、と言った魂の存在もありましょう。そうです。この世の中には、ありとあらゆる学びの素材が満ち溢れています。あらゆる魂レベルの人達が共に生活しています。これ以上の学びやはありません。このように、変動の激しい時にこそ、人々は大きく覚醒できる事を知っています。ですから、なんとかしてこの時代に、肉の身をもって生まれて来たいのです。


不可視世界

◎ いずれにしましても、、目の前に見える世界だけで、物事を判断しすぎているのです。それがすべての世界であるかのように、錯覚をしてしまっていると思います。

◎  肉体を持って生きる者にとって、私達不可視の世界の者への関心は、一種独特のものがあります。一度かいま見てしまいますと、それはまるで、禁断の実でも食べたかのように、人をとらまえて離さなくなります。もっともっと知りたいと願うようになっていくものなのです。なぜなら、この事こそは 《 人間の持つ本質への回帰 》であるからなのです。

◎  私達は、まず視えない存在として話していますが、それでも人間としての生活感覚をまともに受けながら話す場合もあるからです。そのような時は、私達はあなた方人間と、ほとんど一体となってしまっています。

◎ あの一寸先も見えない、霧の世界の意味することを考えてみるとよいのです。私達はすべて、自分の目でしっかりと見据えているつもりでも、本当は、あのように何も見えていないのです。 ~ 実は見えていない世界の向こうにこそ、本当に私達が知るべき世界が実在していることを知って下さい。

  山田征さんのチャネル物語①(1988)から編集・抜粋して掲載しています。

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